-
夜遊び夜遊び
-
お水お水
-
ホストホスト
-
風俗風俗
-
ビューティビューティ
-
ファッションファッション
-
悩み相談悩み相談
-
モデルモデル
-
芸能芸能
-
雑談雑談
-
食べ物・グルメグルメ
-
生活生活
-
恋恋
-
インターネット・ゲームネット・ゲーム
-
ギャンブルギャンブル
-
過去ログ倉庫過去ログ倉庫
-
運営運営
元武富士ダンサーズ 大西裕貴子さんが明かす“CM撮影秘話”(日刊ゲンダイDIGITAL)

コラム【あの人は今こうしている】
1990年代に話題となったテレビCMのひとつ「¥ショップ武富士」。レオタード姿の若い男女が躍動感あふれるキレッキレのダンスを踊り、大いに注目を浴びた。本日登場の大西裕貴子さんは、初代武富士ダンサーズのメンバー。さて、今どうしているのか?
◇ ◇ ◇
JR上野駅から常磐線快速で30分ちょっと。我孫子駅南口から徒歩3分の7階建てマンション2階にある「Y.Oダンススタジオ」へ行くと、大西さんが笑顔で迎えてくれた。
「ここは、私が主宰するダンススタジオで、2003年にオープンしました。中学生までの『ジュニアコース』、高校生以上の『一般コース』、本格的に歌を学ぶ『ヴォーカルコース』、リズムアンドブルースのヒットメロディーにのせてストリートジャズダンスを楽しむ『昼のレディースコース』の4コースがあり、下は5歳から、上は60代前半まで、会員さんは約60人。男女半々ですね」
卒業生には、大手芸能プロ所属のアイドルユニットリーダーやミュージカル俳優として活躍しているOG・OBもおり、東京を突っ切って横浜からやって来るレッスン生もいるという。
「オーディションに通りやすい写真の撮り方、応募用紙の書き方など、プロを目指す人向けの実践的指導も行っています。スカイプを使ったレッスンもありますから、わざわざスタジオに来なくても大丈夫なんですよ」
我孫子市を中心として活躍中のご当地アイドル「手賀沼サンセット」のプロデュース、ダンスレッスンも担当。振付師でもある。
「ダンスの楽しさと魅力を伝え、日本だけでなく世界へ羽ばたけるアーティストを育てたいですね」
■SMAPやTOKIOの振り付けも担当
さて、都内江戸川区生まれの大西さんは、21歳だった89年に単身渡米。ニューヨークでダンスを学び、帰国後は当時のトップダンサーとともに六本木のダンススクール「スタジオ一番街」で腕を磨いた。
「田原俊彦さんのディナーショーに振り付けスタッフとして参加したら、ジャニーズ事務所からも依頼が来るようになり、その後、オスカープロモーションからもオファーをいただきました」
担当したのは、ジャニーズではSMAP、TOKIO、忍者。オスカーならC.C.ガールズ。彼らのデビュー前後の下積み時代を知るひとりなのだ。
「中でも、91年10月にスタートしたSMAP初の冠バラエティー『愛ラブSMAP!』(テレビ東京系)のコーナー振り付けをしたのが忘れられないですね。森(且行)さんがいた6人グループの時で、まだ全員10代でした」
ちょうどそのころ、消費者金融の武富士が企業イメージアップのためにCMを制作。それが武富士ダンサーズ誕生のきっかけだった。
「オーディションに応募したのは300人以上。その中から男性も含めて14人が選ばれました」
当初の収録では、衣装はジャケットにハット姿。だが、最後の最後に武井保雄社長(当時)のリクエストがあった。それが、社長自ら購入したシルバーのレオタードを着用したバージョンだ。
「プロデューサーは『社長がおっしゃるから撮るけど、使うのはジャケットの方』と言ってたのに、いざ、オンエアを見たらレオタード。本当にビックリしました」
だが、テーマソングとなったジョー・リノイエの「シンクロナイズド・ラブ」のノリの良さも手伝い、たちまち一世を風靡。CMが話題になり6年にわたって放送された。
「ユーチューブを見ると、左側で黒いヘアバンドをして踊っているのが私。ギャラは30万円でした。でもCMが続いたので、半年に1度、追加のギャラが振り込まれた。金額は覚えていませんが“お小遣い”以上。うれしかったわ」
結婚は95年。ご主人は我孫子在住のビジネスマンで、すぐに一人息子に恵まれた。そして子育てが一段落し、ダンスを再開。
「『手賀沼サンセット』の3枚目のCD『smile』は11月3日発売。この曲の振り付けは、もちろん私です。11月3、4日の2日間、我孫子で開催予定の『ジャパン・バード・フェスティバル』に出演予定なので、お時間がある方はぜひ!」 (取材・文 高鍬真之)
提供元:Yahooニュース