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山口洋子が結婚を考えた大本命は中日ドラゴンズ所属の「F」だった【芸能界と格闘技界 その深淵】(日刊ゲンダイDIGITAL)

【芸能界と格闘技界 その深淵】#19

 1968年、在阪球団のスター選手と恋仲にあった山口洋子だが「実はそれより以前に結婚寸前まで行った大本命がいた」という話を筆者はあるプロ野球OBから聞いた。筆者とは一時期、仕事現場で毎週顔を合わせていたご仁である。名前は伏せておく。

銀座の高級クラブ「姫」のマダム・山口洋子の“多面多才”

 すでに述べたように、安藤組組長の安藤昇の愛人だった山口洋子は、後年銀座のママとして世間に知られ人気作詞家として名を成し、直木賞作家になりおおせても、その過去を特に隠し立てせず、それどころか週刊誌で対談したり、小説の書評を依頼するなど交流は生涯続いた。そういった気質なのだろう。安藤昇が横井英樹襲撃事件の主犯として懲役8年が言い渡されたのが58年。ここで、安藤と洋子との恋仲は終止符が打たれた。その後、山口洋子が野口修と出会う68年までの10年間、洋子の前に複数の男が現れたのもごく自然なことである。

 最初に現れたのは老舗の料亭の御曹司で、自身も銀座でクラブを経営していた26歳の青年実業家だった。往年の女性誌は次のように書く。

《彼が『ひめ』開店の影の人だったことはたしかである。(中略)彼女の全てをささげ、結婚するならこの人、と彼女自身が思いこんでいたのだから、その恋が実らなかったことは悲しい。しかし、『ひめ』は実ったのだから、彼はマダム山口洋子を生みだす重要なステップ、いわば踏み台の役になったひとであろう》(「婦人倶楽部」1970年2月号)

 この人物については、後年の山口洋子も取り立てて触れていない。おそらく、スポンサーと割り切った付き合いだったのだろう。

 次に出会ったのが、“本命”というプロ野球選手だった。「姫」はオープン当初から若い客、とりわけプロ野球選手の顧客が多かった。そう思うと容易に想像しうることである。事実、自伝にはこうある。

《私は気難しい母親のいる男との結婚生活を夢見ていた。男はプロ野球選手で、東の長嶋、西の――と囃された花形エース。うえに姉が3人いるものの、母子家庭で苦労して育った宝物のひとり息子》(「ザ・ラスト・ワルツ『姫』という酒場」文春文庫)

 しかし、前出の女性誌には出会った経緯も詳細に書き記している。選手は中日ドラゴンズに所属するF。出会いのきっかけをつくったのは、名古屋に住む洋子の実父だったという。

 山口洋子は料亭を経営する資産家の父と、その料亭で仲居として働いていた母との間に生まれた非嫡出子だったことはすでに述べた。別に家庭を持つ実父と暮らすことはなかったが、上京して東映の女優になり、銀座でクラブを経営していた娘のことを父は何くれとなく気にかけていたらしい。中日球団の社長と親しかった父は、その縁でFとも面識があった。そこで「娘が東京でクラブをやっている。東京に行ったら店に寄ってやってほしい」とFに頼んだというのだ。親心だろう。贖罪の意味もあったのかもしれない。以降、Fは東京遠征のたびに「姫」に顔を見せるようになり、2人は恋に落ちたというのだから、事実は小説より奇なりである。

 それどころか、洋子はFとの結婚を真剣に考えるようになった。再び自伝からひく。

《あろうことか私は恋をしていて相手との結婚を願うあまり、念願の場所に店を持ちながらあっさり銀座を引いて一時休業してしまうからだ。いま考えても心底結婚するつもりがあったかどうか疑わしい。(中略)何かしら懸命に婚約者を演じていた気もする》(同)

 しかしFとの関係も、安藤昇と同様、唐突にピリオドが打たれることとなる。(つづく)

(細田昌志/ノンフィクション作家)

提供元:Yahooニュース
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