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ローカルな往年のプロ野球選手と花の銀座の人気ママの取り合わせの妙【芸能界と格闘技界 その深淵】(日刊ゲンダイDIGITAL)

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【芸能界と格闘技界 その深淵】#18
野口修と山口洋子が出会った1968年、野口に妻子がいたように、洋子にも恋人がいた。プロ野球選手だったという。おそらく「姫」に客として現れ、恋に落ちたのだろう。洋子は後年、次のように明かしている。
《男はプロ野球選手で、大学時代に四割の記録を持つスラッガーだ。結婚の話もあったが、堺の旧家の一人息子のぼんぼんと一緒になれるはずはないと、どこかで漠然と諦めが先の恋だった》(「ザ・ラスト・ワルツ『姫』という酒場」山口洋子著/文春文庫)
駒沢公園で山口洋子の車椅子を押す野口修…晩年の老老介護
無粋で野暮は承知の上で、これが誰なのか特定を試みたいと思う。《堺の旧家の一人息子のぼんぼん》で《大学時代に四割を打ったスラッガー》とある。セ・リーグかパ・リーグかわからない。
昭和世代で堺市出身、大卒のプロ野球選手で打者というと、次の4人に絞られる。
藤井栄治(阪神→太平洋→阪急)、山本功児(巨人→ロッテ)、木戸克彦(阪神)、南出仁(日本ハム)。出生地ではないが居住していた選手は鶴岡一人(南海)がいる。
この中で、75年入団の山本、82年入団の木戸、86年入団の南出は時代が合わない。また、鶴岡一人も68年の段階ですでに52歳、現役どころか監督最後の年である。当然、独身ではなかった。となると、消去法で現在81歳の藤井栄治ということになる。大阪に住んでいた筆者は、かつてサンテレビの野球中継で彼の解説を幾度となく聴いている。そんなローカルな往年の選手と花の銀座の人気ママの取り合わせは、想像もつかなかった。意外な思いがしないでもない。
しかし、大学時代から始まった藤井栄治の履歴は確かに華々しい。
関西大学進学後、関西六大学リーグに1年から出場。2年からレギュラーに定着し、4年の61年には関西六大学首位打者を獲得。通算68試合に出場し、213打数64安打、通算打率・300、29打点。4割は打っていないが3割は打っている。スラッガーであるのは紛れもない。
鳴り物入りで阪神タイガースに入団すると、ルーキーイヤーから右翼手としてレギュラーに定着。2リーグ制初のリーグ優勝に貢献し、東映との日本シリーズでは全7戦に5番打者として出場。甲子園での第2戦では3安打の猛打賞。同じく甲子園での第7戦では延長十回に同点打を放つなど、シリーズ通算34打数11安打5打点と大活躍。63年のシーズンではベストナイン(外野手)に選出され、3年連続オールスターゲームに出場。71年には1000安打を達成。強肩好守にも定評があり、67~73年の最多連続守備機会無失策の日本記録を更新している。
監督・金田正泰との確執により、福岡に本拠地を置く太平洋クラブライオンズ(現・西武ライオンズ)に移籍後も、主軸打者として活躍。日米野球に選出された際は当時2度もサイ・ヤング賞を受賞したニューヨーク・メッツのエース、トム・シーバーから2安打を放つなど勝利に貢献。76年には1500試合出場。阪急(現・オリックス)移籍後も78年の引退まで代打の切り札として恐れられた。
直接本人に取材をしたわけではなく、断定はできないのだが、これら客観的事実を見るにつけ、60年代に山口洋子と恋仲にあったプロ野球選手とは藤井栄治である可能性は高いのではないか。山口洋子が「西武ライオンズ私設応援団長」を自任しながら「それでも、私の一番の贔屓は阪神」と終生言い続けたのも論拠のひとつかもしれない。
しかし筆者は、あるプロ野球OBから別の話を聞いた。
「いやいや、洋子ママがほんまに結婚まで考えたのは、また別や。その前に結婚寸前までいった大本命がおったんや」(つづく)
(細田昌志/ノンフィクション作家)
提供元:Yahooニュース

