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シドニー五輪競泳で銅 源純夏さんは故郷でライフセーバーに(日刊ゲンダイDIGITAL)

日本女子競泳陣が活躍した2000年のシドニー五輪。中でも女子400メートルメドレーリレーでの銅メダル獲得は、日本初の快挙だった。本日登場の源純夏さんはアンカーの自由形で出場し、大いに注目された。あれから18年、今どうしているのか?
徳島県徳島市郊外の小松海岸。源さんは黄色地にオレンジで「SURF PATROL」と書かれた、日本ライフセービング協会のユニホーム姿で現れた。
「6年前、生まれ故郷の徳島で『徳島ライフセービングクラブ(LSC)』を立ち上げ、私が代表をしています。主な活動は海水浴場での監視・指導。それとビーチイベントの安全管理、ビーチクリーンなどの環境保全活動、心肺蘇生法の普及啓発活動などです」
日に焼けた小麦色の肌に白い歯が印象的だ。
ライフセービングと出合ったのは8年前。阿南市で行われたオープンウオータースイミング大会だった。
「当時、県内にはライフセーバーがいなかったため、大会運営を手伝うことになり、強く必要性を感じたんです。競技生活は、多くの支援者に支えられてきましたから、『今度は社会貢献で恩返し』と思い、その年に資格を取得しました」
現在、メンバーは約30人。2歳年上で外資系金融会社勤務のご主人は、元慶応大水泳部だっただけに、理解があり、広報を担当している。
「クラブの目的は水の事故をゼロにすること。各種講演会のほか、ライフジャケットの正しい着用法や“浮く”ことの楽しさを知ってもらうプログラムを学校行事として実施していただいたり、事故を未然に防ぐための広報活動も行っています」
海水浴場での事故原因のトップは、なんと飲酒。
「暑いから飲みたくなる気持ちは分かります。でも、命の方が大事。よく、酔い覚ましをしてから海に入ってくださいね」
■大学卒業を目前に学生結婚
さて、徳島市生まれの源さんが水泳を始めたのは7歳。すぐに頭角を現し、12歳で50メートル自由形学童新記録を打ち立て、14歳にして同種目で日本選手権を当時の日本記録で制覇。そして、1996年に開催された米アトランタ五輪には、高校2年ながら自由形50メートル、同100メートル、400メートルフリーリレーの3種目に出場した。
「残念ながら、入賞にも届かず、悔しい思いをしました。でも、それが4年後、00年のシドニー五輪に向けて力強いバネになったんです」
シドニー五輪には自由形50メートル、同100メートル、そして400メートルメドレーリレーに参戦。50メートル、100メートルともに、同種目では日本女子として初めて決勝進出を果たし、それぞれ8位、7位に入賞。勢いに乗って迎えた400メートルメドレーリレーにはアンカーの自由形を任された。
「第1泳者で背泳ぎの中村(真衣)、平泳ぎでつないだ田中(雅美)は私と同じ中央大学水泳部所属。私も含めてアトランタにも出場したものの成績はいまひとつでしたから、『絶対、メダルを持ち帰るぞ!』と意気込んで会場入りしたものです」
ところが、気負いすぎた中村選手は5位。それから順に追い上げ、源さんはドイツ代表との接戦を逆転で制し、銅メダル獲得の快挙を成し遂げた。
「ゴールタッチして見上げたら皆の笑顔が見えたので、『逆転した!』って実感がわきました」
翌年9月に引退し、中央大卒業目前の02年2月に学生結婚。卒業後の同年4月、テレビ朝日に入社し、スポーツ局に配属された。
だが、その年の9月、ご主人の徳島転勤のため退職してUターン。以来、講演活動や後進育成に努め、現在は徳島県水泳連盟理事だ。
その一方、サーフボードを2回りほど大きくしたパドルボードで楽しむ「スタンドアップパドルサーフィン」のインストラクターで、市内のサーフショップや専門ブランドのライダーをしているほか、地元コミュニティーFM「エフエムびざん」の情報番組「徳島LSC 純夏のwaterside NOW!」(金曜19時30分~)のパーソナリティーでもある。
ちなみに実家は、「父によると、室町時代から今の徳島県美馬市の山奥に居を構えていた源氏の子孫」だそうだ。日本史がいきなり身近になった。
提供元:Yahooニュース