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宮沢りえ 65歳で死去した「りえママ」光子さんへの思い吐露「叩かれていた時期が…」「自慢したい母」(スポーツ報知)

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女優の宮沢りえが11日までに自身のインスタグラムを更新。2014年9月に肝腫瘍で死去した母・宮沢光子さん(享年65)への思いをつづった。
【写真】娘といつも一緒だった「りえママ」光子さん
宮沢は「ずーっと心に閉まっている事がある。それは、母の事」と書き出した。「随分、長いこと尾鰭背鰭(おびれせびれ)がついた状態で本来の姿ではない母がSMSの中を重そうに泳いでいる。有る事無い事で塗り固められた母がSMSにこびり付くように存在している」(原文ママ)とし、「誰かが、その場を盛り上げようと放ったブラックなジョークが、回り回って醜(ひど)い真実となって駆け回っている。それがどうしても悔しい」と吐露。
「ある時期、毒母、魔女などと言われ叩かれていた時期があって、本当に存在する目の前の母とかけ離れ、様々な憶測で塗り固められたもう1人の虚像の母を否定したいと思った事があった」と明かし、「その時、母に『そんなものを否定して同じ土壌に立つことは本意ではない』と諭された。その通りだと、納得した私は、その否定したい気持ちを心の奥に閉まった」とつづった。
「自分が役者として認められる様になる事で反逆したいという想(おも)いが、演じる事へのエネルギーの一部でもあって、今日まで生きている様な気がする」と宮沢。「私の母は愛情に溢(あふ)れ、正義感が強く、天才的な直感力の持ち主で、全ての人に平等で、人間性に欠けた常識というものに真っ向から立ち向かうパンクな人だった。心の底から自慢したい母だ。あんな風に生きたい」と改めて母への思いを記し、「同じ土壌に立たない。という母との約束を破って、心から申し訳ないと思うけど、どうか、許してもらおうと思います。私を生んでくれて、ありがとう」と呼びかけた。
光子さんは1973年、オランダ人の夫との間にりえを出産したが離婚。ステージママとして娘をトップアイドルに育てあげ、91年にはヌード写真集「Santa Fe」をプロデュース。娘と常に行動を共にし、「りえママ」とも呼ばれた。
提供元:Yahooニュース