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『ANORA アノーラ』画面構成の意図を紐解く ショーン・ベイカー初期作『Take Out』と比較(リアルサウンド)

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2025年がはじまって4カ月。今年はまだスタートしたばかりではあるがアカデミー賞で史上初の単一作品でオスカー4本を獲得した『ANORA アノーラ』は、今年日本で公開された映画作品の中で異色の存在になるだろう。しかし、国内ではそのエンディングやストーリーに評価基準を見出すのが難しい視聴者も多いように思う。そこであえてショーン・ベイカーの過去作『Take Out(原題)』(2004年)と比較しながら『ANORA アノーラ』の魅力に迫りつつ、視聴者の中には首を捻った人もいたであろう本作のあの結末に、1つの解釈を提示しようと思う。
【写真】『ANORA アノーラ』の画面構成をベイカー初期作と比較(5枚)
まず、簡単に『ANORA アノーラ』のストーリーを紹介しよう。舞台はアメリカのニューヨーク。ストリップダンサーとして活動するアノーラ(マイキー・マディソン)はセックスワーカーとして活動していた。そんな中、ロシアの大富豪(作中で名言はされないがオルガルヒを想起させる)の息子であるイヴァン(マーク・エイデルシュテイン)が店を訪れると、ロシア語を少し話せるという理由でアノーラが指名される。イヴァンは身体の関係を持つとすぐに「1週間彼女になってくれないか?」とアノーラを買う。そうして散財に散財を重ねてイヴァンの仲間たちと共に贅を尽くした2人だったが、「交際」の最終日にイヴァンがプロポーズし夫婦となった。
しかし、その事実を知ったイヴァンの両親は大激怒し2人を離婚させようとする。そんな現実からただ逃げるだけのイヴァンとその周囲の人々に、状況を飲み込みきれないアノーラは振り回され続け物語は進んでいく。富と性が絡んだ劇中で、アノーラの人生はとんでもなく乱高下する。
こうしたショーン・ベイカーの「撮り方」に注目するために『Take Out』のストーリーもさらっておこう。
『Take Out』はショーン・ベイカーの初期作品だ。基本的にショーンの扱うものはこの頃から変わっておらず、社会の周縁の人たち、華やかに作られがちな映画の中で扱われ辛い労働者や移民にスポットライトをあてる。日本では是枝裕和が『万引き家族』を作った際に「映画では人々をのぞき見する視点を大切にしている」と早稲田大学内の講義で述べていたが、ベイカーのスタイルも同じ視点を大事にしている。初期作ではそれが顕著で、主人公はアメリカで働く中国系移民労働者のミン。彼はアメリカで大金を稼ぐことを夢みていたが、現実は借金を返すこともままならない生活であった。そんなミンは貯まった負債を1日で返すように告げられるが、返す方法などあるはずもなくひたすらデリバリーの仕事をしチップでどうにか稼ごうとする。
移民という点で共通する2つの作品だが、撮り方には異なる点がみられる。
まず、『Take Out』はベイカー本人も述べていたようにドキュメンタリーのような作品だ。撮影はハンドカメラでおこなわれ、その奥行きの無さとミンの顔を中心としたアップの撮影方法は、さながら運動会で我が子を撮る親のような被写体を強調した撮り方になっており、彼が画面に閉じ込められているかのような窮屈感と主人公性を感じる。この撮影方法がドキュメンタリーのような臨場感を与えていた。さらに、手ぶれや画像の粗さを意図的に残しているようにも見受けられる。これはミンの不完全な現実や不安を表しているようで『Take Out』内では大変効果的に作用した。
対して『ANORA アノーラ』では会話シーンや状況を引きの画で空間ごと切り取っている。例えば、アノーラとイヴァンが暮らしていた部屋にガルニク、トロス、イゴールが来た際の悶着では散らかる部屋を画面に残しながら会話が長く展開された。また、「アノーラが所属していたストリップクラブからイヴァンを連れ戻す場面」も「イヴァンと離婚調停を結んだ後に家に戻ったイゴールとアノーラの会話シーン」も、空間を大きく映しつつ構成される。
『Take Out』の撮影方法から考えてみると、『ANORA アノーラ』における上記のシーンがクロースショット中心で進行しても不思議ではない。しかもこれらのシーンでは会話こそ情緒がみなあやふやでとてもうるさいが、それに反して画面は意外と整理されている。この場合の「整理」とは手ぶれの無さや壊された物はあれど画面上の無機物の配置が気持ち悪くないということだ。人物たちの情緒と反した映像の清潔さには、『Take Out』でみられた人物の情感を映像と撮り方に反映させるベイカーイズムを感じなかった。
提供元:Yahooニュース