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「お前はクレイジーになれる。なんなら俺よりクレイジーな部分もあるぞ」《斬新モノマネ》キンタロー。の魂を奮い立たせた「意外な人物」と「激励の言葉」(現代ビジネス)

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「番組見たよ、と周りから本当によく声をかけてもらえるようになりました。新宿のものまねショーレストラン『そっくり館キサラ』に毎月出演しているんですが、お客さんが倍増した気がします。予約もすぐ埋まるみたいですね」
【写真】キンタロー。ドッスンのモノマネと「育児中もずっと変顔」に大喜びの2児の娘
芸歴13年目のキンタロー。(42)は自身の“再ブレイク”について冷静に話す。30歳でお笑い芸人を志し、その翌年に前田敦子(当時AKB48)のモノマネでブレイク。デビュー1年目で一世を風靡したが、あまりにもその印象が強すぎたせいか、その後は露出も減って伸び悩む時期が続いていた。
だが、結婚・出産を経て2児の母となった今、そのモノマネやダンスは新境地に達している。
前編記事『「育児のときもずっと変顔です」アンジー、前田敦子、マリオのドッスン…《斬新モノマネ》芸人・キンタロー。が「2児の母」となった後も「過激な芸風を続ける理由」』に続き、現況について話を聞いた。今年の3月末に12年間在籍した松竹芸能を退社し、独立することを発表したキンタロー。さん。それから約半年が過ぎたが、フリーでの活動は想像以上に大変なことの連続だという。
「いま、マネージャーはまだ見つかっていないんです。仕事依頼の窓口、電話のやり取りから打ち合わせ、スケジュール管理まで全て自分でやっています。正直、事務所にいた時はフィルターがかかった状態だったんだなと分かりましたね。世の中、色々な人がいると実感しました。まだまだ右往左往しているところです。
あと、モノマネで使用する衣装の準備やヘアメイクも自分でやっているんですよ。まあ、松竹時代からスタイリストがつくことはほとんどなかったので、このあたりはあまり変わらないかな。衣装にもちゃんとアイロンを当てて、綺麗な状態でとは思うんですけど、なかなか難しいですね」再ブレイクまでは10年近く苦難の時期を要した。その歩みを支えてきたのは何だったのか。
「やっぱりこの道で、お笑い芸人として生きていきたいという気持ちがずっとあったんです。ダンス講師や不動産会社で社会人として働いてきて、30歳でお笑い芸人になろうと決心して上京してきました。もう後戻りはできないなと。それに私が普通の会社に勤めたところで自分がどうなるかっていうのは、もう十分に味わいましたからね(笑)
だから転職は考えませんでした。もともと親には芸人になることを反対されていた中で、一番の夢を叶えたわけですから。この10年は、とりあえずいただいた仕事は何でも全力でやる。それだけを考えて、ひたすら続けてきました」
子供の頃からお笑いが大好きで、母や妹にモノマネを披露していたという彼女にとって、お笑い芸人はまさに天職。幼少期から憧れ、そのモノマネを“真似”し続けてきた大師匠からは、ありがたい助言をもらったという。
「あるとき、コロッケさんご本人のモノマネをしていたら『同じ顔ばっかじゃなくて、いろんな表情しなきゃダメ。今に甘んじちゃダメよ』と。直々にありがたいアドバイスをいただけました(笑)」
提供元:Yahooニュース