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歌手・女優の畑中葉子さん「生まれ故郷 八丈島の流人まつりを復活させたい」【死ぬまでにやりたいこれだけのこと】(日刊ゲンダイDIGITAL)

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【死ぬまでにやりたいこれだけのこと】
畑中葉子さん(歌手・女優/65歳)
「カナダからの手紙」や「後から前から」のヒットで知られる畑中葉子さんは、昨年、デビュー45周年記念の新曲「八丈島からの手紙」をリリースし、故郷・八丈島で凱旋ライブも行った。これからやりたいことは八丈島の流人まつりを復活させることだという。
【写真】畑中葉子デビュー45周年記念イベント「八丈島からの手紙 in 八丈島」
◇ ◇ ◇
65歳になり、年金をいただくようになって、できれば、ゆっくり歌を歌いながら過ごしていきたいと思っています。
ただ、歌い続けるのは大変です。先日、長島温泉(三重)で1週間歌いましたが、6日目、7日目は疲れているのが分かりましたし、結構、喉がキツかったんです。
現在、歌以外でやりたいことがあります。そこに至るまでを整理してお話しすると……。
1959年、生まれたのは東京都の八丈島です。13歳まで島で育ち、建設業を営んでいた父が東京に支店を出すというので、一家で中目黒に引っ越しました。引っ越し先のマンションの2軒隣に住んでいたのがデビュー曲「カナダからの手紙」を作曲し、デュエットした平尾昌晃先生です。
高校受験で私立に受かり、都立の試験日に友だちと出かけたのが原宿。そこで3つの芸能事務所にスカウトされたのがこの世界に入るきっかけです。そして平尾先生の音楽スクールのレッスンに通うようになり、歌手デビューしたのが78年1月。
デュエット曲「カナダからの手紙」は大ヒットしますが、次の年にソロになることで事務所との相違があり、仕事が嫌になり逃げるように結婚します。79年、まだ20歳。お相手は音楽家の方ですが、その年の夏には実家に帰っていましたから、結婚生活はほんの2、3カ月。離婚届を出したのは80年1月です。
事務所に戻って、最初の仕事がセミヌードになることでした。「後から前から」をリリースし、日活ロマンポルノにも出て、泣きながら仕事をしましたが、あの時、踏ん張ったから今があると思っています。あの頃の私に「よく頑張ったね、ありがとう」と言いたいです。
■21年に2度目の離婚、昨年緑内障の手術
再婚は約10年後の91年です。2度目は一般の方です。子供は2人。2人目の息子が生まれて子育てで夫婦関係がギクシャクしだし、離婚したのは2021年です。夫婦がバラバラだと子供たちが大変だと思い、お互いにカバーし合っていましたが、最後は家庭内別居となり、子供たちへの影響も出てきたので離婚することにしました。今はみんな生き生きして、とても幸せにしています。
仕事を再開したのは09年です。長女が不登校だったとき、カウンセラーの先生とお話しているうちに「畑中さんは外に向けて発信できる人だから、不登校について経験を話してほしい」と言われたのがきっかけで、女性のためのカラオケサークルを始めました。女性が悩みを何でも打ち明けられる場があればいいなと思って。でも、家庭に引っ込んでからのブランクは20年です。募集の広告を出してもウンともスンともなくて、そこで、もう一度、歌手・畑中葉子として復活しないと何事もできないと思い、ツイッター(X)で発信するようになり、八丈島の方々とも連携し、そして八丈島の島おこしもしようということになりました。
私が住んでいた頃、八丈島の人口は1万3000人くらいでした。それが去年は7000人を切りました。第一線に戻って仕切り直しをしようと奮起して13年目の23年に緑内障の手術をすることになります。48歳の時、右目が緑内障になったのですが、また悪化してしまいました。手術前には必ず書類にサインしますよね。その中に「万が一のこともある」と書かれていました。えっ、死ぬってこともあるってこと? と思いました。そのときに、仕切り直しって何? どこが第一線? そんなこと言っている場合じゃないと思いました。
昨年「八丈島からの手紙」をリリースし、今年5月にはライブをやりました。私はフリーなので総勢40人を1人で動かすのは大変でしたが、みなさんのご協力を得てどうにか乗り切ることができました。この曲を出してライブをやったことを着地点とせず、これを次につなげていかなければいけないと思っています。
八丈島は戦国武将の宇喜多秀家が島流しにされたところです。子供の頃は流人まつりが毎年行われ、有名人のゲストが仮装したり、島の目抜き通りをトラックの荷台に乗って練り歩いていました。力士の高見山さんは毎年いらしてましたし、他にもプロレスラーや芸能人の方もいらしてました。私も平尾先生と一緒に黄八丈の着物を着て78年に参加しています。
今はコスプレがはやっているし、歴女もいる。昨年の名探偵コナンの映画「黒鉄の魚影」は八丈島が舞台でしたので、聖地巡礼ということで今でもたくさんのファンが訪れています。
そんな八丈島に伝統的な流人まつりを復活させることができないか。どこでもできるお祭りでは意味がありません。八丈島だからできる、流人まつりを生きているうちに復活させたいのです。多くの方々にご協力いただけたらと思っています。
(聞き手=峯田淳/日刊ゲンダイ)
提供元:Yahooニュース