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芸能記者が見た有賀さつきさん 奔放さの裏に隠した繊細さ(日刊ゲンダイDIGITAL)

元フジテレビアナウンサーの有賀さつきさんが先月30日に入院先の病院で亡くなっていたことがわかった。享年52。あまりにも若すぎる死に、フジテレビ時代の同期入社でともに「花の三人娘」と呼ばれた八木亜希子(52)は「ただただ悲しくて、今は言葉が見つかりません」とコメント。河野(現・花田)景子(53)は「優しすぎるほどいつも優しいさつきちゃんにまたいつでも会えると思っていた自分を心の底から悔やみます。ショックで言葉も見つかりません」と沈痛な思いを吐露した。
1988年の入社当時、新宿・河田町にあったフジテレビは視聴率トップを走り、同期の河野、八木とともに有賀さんは後の女子アナブームの先駆けとなる人気を博した。
92年にフジテレビを退社後はフリーのアナウンサーとしてテレビ朝日系「ミュージックステーション」のサブ司会を務めるなど、女子アナから芸能界への転身でも先駆けとなった。その一方、95年に芸能プロ社長との不倫疑惑を写真誌に撮られ、会見した際はこんなコメントで胸中を語った。
「今まで生きてきた中でこんなに幸せを感じたことは本当になかった。会っただけで、彼の声を聞いただけで幸せなんです。好きだから、これからどうなっても悔いはない」
小泉今日子の不倫宣言が世間の耳目を集めているが、その23年前に堂々と不倫を認め、赤裸々にそれを語っていたのである。
その後、2002年にかつて上司だったフジテレビ解説委員(当時)の和田圭氏と結婚。同年11月に長女に恵まれたが、06年に離婚。ここでも「夫婦だったけど上司だった」「彼とは言語が違った」などとコメント。あまりに奔放な発言の数々が誤解を招き、世間の反感を買ったこともあった。
「とても華やいだ雰囲気で注目度が群を抜き、そのファッションでも注目されていました」と振り返るのはベテラン芸能記者の青山佳裕氏だ。こう続ける。
「不倫騒動の際は広尾の交差点近くに住んでいて、直撃すると消え入りそうな声で『やめてください。何もしゃべれないんです』と言っていたのを覚えています。明るさ、奔放さで知られていましたけど、繊細で不器用で、壊れやすいガラス細工のような印象がありました。離婚された年に、有賀さんは赤坂で軽トラックに追突事故を起こしているんですね。幸い大事には至らずにすんだのですが、このとき相手の男性運転手が車の窓を叩いても、しばらく中から出てこなかったという話がありました。退社したとはいえ、フジテレビのイメージを悪くしてしまったのではないかと気が動転したんじゃないかという説があって、以前と同じく繊細な印象を抱いたのを覚えています」
■「楽しくなければテレビじゃない」を体現
この事故後、旧日本テレビでの記者会見をセッティングした芸能リポーターの城下尊之氏はこう言う。
「とても素直な方でした。たったひとりでいらして、質問一つ一つにきちんと対応されて。とても感じがよくて、帰りのタクシーを手配したとき、つい『有名人なのですから、車の運転は控えられた方がいいですよ』って向けてしまったんです。そうしたら、『そうですよねえ。でも、どうしても運転したくって』と笑顔で語ってくれました。フジテレビを退社されて、どこにも所属されていなくて、不安だったのかもしれません」
離婚後はシングルマザーとしてフリーで仕事を続け、テレビでは変わらぬ笑顔を見せていたが、ここ1~2年は激やせが心配されていて、かつらを着用していたことも一部で明かしていた。
最期の瞬間まで闘病をひた隠し、明るいイメージのまま旅立った有賀さん。顔で笑って心で泣く夜もあったに違いないが、「楽しくなければテレビじゃない」というスローガンを掲げたフジテレビのイメージを生涯にわたって体現した人生といえるのではないだろうか。
提供元:Yahooニュース