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【「天使たち」評論】物語の中だけでも生きづらさを抱えた女性たちを救済しようと試みる姿勢(映画.com)

 或る特定の街を描いた映画は、作品そのものが時代の記録になることがある。例えば、大島渚監督の「新宿泥棒日記」(1969)には、1960年代末の新宿の情景が刻まれている。また、景観だけでなく、街を行き交う人々の服装や髪型などからは、当時の文化や風俗を窺い知ることもできる。重要なのは、フィクションとノンフィクションの狭間に介在する、その時代の<今>が映像に記録されているという点にある。街の区画そのものはさほど変化しないものの、老朽化した建築物は“スクラップアンドビルド”される。そのため、通りや路地の原形を残しながらも、“あの頃あったものが今はない”といった郷愁にも似た感覚を導くのである。

【動画】「天使たち」予告編

 「天使たち」(2025)もまた、新宿の<今>が記録された作品。実家を出るためにお金を稼ぐなる(龍村仁美)と、大学の奨学金を返済するためにお金を稼ぐマリア(河野聖香)のふたりが、勤務先のガールズバーで出逢い、不遇な境遇から抜け出すことで、より良い人生にしようと苦闘する姿が描かれてゆく。新宿・歌舞伎町の猥雑な夜の街に俳優たちを彷徨させ、機動性の高い機材を持ち込んでドキュメンタリー的な技法を実践。街の息づかいを、リアルに撮影してみせている。それゆえ、今作の映像は、「新宿泥棒日記」よりも“夜が明るい”という違いを伴わせながら、“あの頃あったものが今はない”という同様の感覚を、来たるべき世界の人々へ与えるであろうことを確信させるのである。

 木村ナイマ監督は、初監督作となった短編「ファースト・ピアス」(2022)でマリアの前日譚を描いていた。彼女の人生は救われることがないまま終幕を迎えたが、「天使たち」でもマリアの耳元に輝くピアスは、前日譚で手にした戦利品なのだ。マリアのその後を描いた作品でもある今作には、作品全体に<死>の香りが漂う危うさがある。だが、描こうとしているのは<生きる>ことの方である点が素晴らしいのだ。例えば、「この世界は優しい人からダメになる」というマリアの達観した台詞には、社会に対する木村監督の厳しくも慈愛に満ちた視点を垣間見せる。「消費される側」=「ガールズバーで働く若い女性たちの側」を“たくましく”描きながら、「消費する側」=「客となる卑俗な男性たちの側」をリアルに描いた解像度の高さは、取材を兼ねた木村監督の実体験から導かれる観察眼の賜物なのだろう。

 男性優位な社会に争うべく、いかつい鎧で己を武装した木村ナイマ監督の内なる繊細さは、上空の旅客機を眺めながら「どこに行くんだろう」と呟くなるに対して、マリアが「どっかに行くんじゃないよ、帰って来てるんだよ」と応えるくだりにも表れている。見え方が変われば、考え方も変わる。そういった“たくましさ”は、マリア視点だった「ファースト・ピアス」の物語を、「天使たち」ではなるの視点に移行させながら、ひとりの苦悩をふたりで分かち合う“バディ感”のようなものを導く由縁でもある。これまでも木村ナイマ監督は、同級生の荒尾奈那、大学の後輩である望月尋加との3人で、企画・製作を手掛けてきたという経緯があった。作品内外を横断する女性たちの結束は、奇しくも物語と呼応しているのだ。それゆえ、彼女たちは映画によって、物語の中だけでも社会的な苦境にある同年代の女性たちを救済しようと試みているのではないか、と思わせるのである。

(松崎健夫)

提供元:Yahooニュース
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