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アローナイツのボーカル木下あきらさん「リーダーほか2人のメンバーも亡くなり、あとの2人はどっかに…」【あの人は今】(日刊ゲンダイDIGITAL)

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【あの人は今こうしている】
木下あきらさん
(「アローナイツ」のボーカル/74歳)
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1975年、ムード歌謡「中の島ブルース」を歌いヒットさせた男性6人組「秋庭豊とアローナイツ」。「内山田洋とクール・ファイブ」との競作だったが、本家はこちらだった。ボーカルの木下あきらさん、今、どうしているのか。
◇ ◇ ◇
木下さんに会ったのは、JR川崎駅から徒歩1分の「川崎日航ホテル」20階の控室。ある女性歌手のディナーショーに、メインゲストとして呼ばれ、これから歌うのだという。
「この2月に新曲『愛終/ひとこと』を出しまして。CDを出すのは5年ぶり。コロナでずっと仕事ができず、年も年だし、もう出すことはないだろうと思っていたら、徳久(広司)さんから久しぶりに『歌ってよ』と言ってもらってね。『あきらめないで』『献身』とか、『アローナイツ』のヒット曲はほとんど徳久さんが書いてくださったご縁があるんです。『愛終』は泥くさい昭和演歌のにおいのする歌ですよ」
木下さん、まずはこう言った。ここ5年はどうしていたのか。
「どうって、普通の生活(笑)。50代過ぎてから勉強して国家資格を取り、介護の会社を経営していた女房が、5年前に卵巣がんで亡くなってね。救急車で運ばれたときはステージ4で手遅れだったから、手術はしたけど、ほとんど看病する間もなく亡くなっちゃった。介護の会社は人に譲り、長男と2人暮らしになったから、食事作って、掃除して、洗濯して……」
■脳性麻痺の長男と2人暮らし
木下さんが家事を一手に引き受けているのには、理由がある。一粒種の52歳の長男は脳性麻痺で、車イス生活を送っているのだ。木下さんは長男を仕事にも同伴させ、この取材にも同席していた。
「仕事のときだけでも施設にあずかってもらおうかとも思うんだけど、何カ月も前から予約が必要だったり、なかなか手間なんだよ。だから、仕事のときは周りの人にご理解、ご協力をいただいています」
5年前に出したCD「桜のように/さようならは言わない」は、亡き妻に捧げる歌。
夫人は2歳年下の北海道北見市の元クラブホステスで、22歳と20歳で結婚した“糟糠の妻”だった。
それにしても、この2月と5年前のCDのジャケット写真を見比べると、木下さん、痩せたようだ。
「10キロ落ちました。年齢のせいで筋肉が落ちたんでしょう。コロナが明けて、いざ仕事再開、となって衣装に袖を通したら、どれもブカブカでさ(笑)。でも、体調は問題ないよ。40代のときに人間ドックで結腸がんが見つかったけど、早期だったから切除後は何ともない。以前は苦しんだ尿路結石も、もう何年も発作はないしね」
ところで、「アローナイツ」は6人組だったはず。現在は1人で活動中という。どういうこと?
「リーダーの秋庭さんが33年前に肝細胞がんで亡くなってから、残りのメンバーとしばらく一緒にやってたんだけど、2人死んじゃって、あとの2人はどっか行っちゃった(笑)。もともと『アローナイツ』はオレ1人でやってたようなもんなの。ほかのメンバーは技術がないうえに、せっかくメジャーデビューの機会をもらったのに勉強もしなくてさ。レコーディングだって、他のメンバーは最初だけ来て、そのうち誰も来なくなった。コーラスはプロにお願いして、『アローナイツ』からはオレ1人だったんだから」
えっ、本当? ギャラを余分にくれたのなら納得もできるが……。
「そりゃ、リーダーの配分が大きかったでしょ(笑)。オレの給料は安かったよ。でも、『もっとくれ』とは思わなかった。歌が好きで歌手になったから、歌えるのがうれしかったんだ。レコーディングには、ディレクターや作家が来て指導してくれるでしょ。おかげで、歌はだいぶ上達したと思うよ」
さて、北海道赤平市生まれの木下さんは、高校在学中からナイトクラブで歌い、高校卒業後は同市で炭鉱作業員に。
24歳の頃、秋庭氏に誘われ札幌へ。「秋庭豊とシャネル・フォー」を結成し、クラブで歌っていた。
73年、自主制作した「中の島ブルース」がヒット。75年にメンバー揃って上京し、「秋庭豊とアローナイツ」としてメジャーデビューした。
「当初は年間でLPレコード4枚、シングル2枚も出してたから、1年のうち半分以上レコーディングしてたよ。テレビには月20本以上出たから、忙しくて半分ぐらい記憶がなく、覚えていない曲まであるほど。事務所の力だね(笑)。田舎から出てきて、こんなに力を入れてもらえて、何十年経ってもこうやって歌っていられるんだから、恵まれてたと思ってるよ」
2002年には「敏いとうとハッピー&ブルー」の元リードボーカルの森本英世と、「森雄二とサザンクロス」の元メインボーカルの菅野ゆたかと3人で「ハッピー・サザンアロー」を結成。
「活動は2年ぐらい。2人は同年代だから、今も付き合いがありますよ」
埼玉県越谷市内のマンションに暮らす。
「地方で仕事があったとき、延泊して息子と観光するのが楽しみだね」
(取材・文=中野裕子)
提供元:Yahooニュース